「甲子園への遺言」を読んだ

甲子園への遺言
(※読んでみたいと思わせるような文章を書いてみたくなったので、そういう調子で)
簡単なあらすじは、平成16年夏になくなった一人の高校教師、高畠導宏という人の物語である。
享年60歳。
だが、教鞭を執ったのは59歳から。つまり、2年目の高校教師だった。
それまでは、30年以上プロ野球のコーチをしており、
のべ30人以上のタイトルホルダーを育てた「伝説のコーチ」であった。
(実際、教員に赴任する直前にも日ハムのオファーがあったらしく彼は断っている)
そのコーチ人生がケタ違いに面白い。
以下ロッテコーチ時代のエピソードから引用する。


「おまえ、なんでもかんでもボールを追ってるだろ?」
(中略)
確かに当時の僕はストレートでもカーブでも、全投球を打ちに行ってました。高さんはベンチで見ていてそれがわかっていわけです。
僕は高さんにそういわれて、当然、ハイと答えるのですが、それじゃ(おまえは)打てんわ、と高さんは言うのです。
僕のバッティング技術や力量を高さんは既に見抜いていて、アッサリとそう言われました。そして、どうだ、おまえ、ヤマ張ってみるか?と、畳み掛けられたんです。
(中略)
高畠は水上に、
「その代わり真っ直ぐを狙ったときは、一球で仕留めるつもりで練習しなさい。カーブ内の練習でも、カーブを要求して、それを打つ準備をし、一球でそのカーブを仕留める練習をしなさい。」
と、告げたのである。
(中略)
そのときのことを述懐する。
「えっと思いました。野球ってそれでいいのか、と。それまでの自分はナンだったのか、と思いましたよ。コーチからはそれまで、おまえはフォームが悪いから打てないんだとか、バットが下から出てるぞ、とか、あるいは、ダウンスイングじゃないとダメだとか、上から叩きつけろとか、そういうことばかり言われてました。打てないとフォームをいじるのが当時の教え方の主流だったんですよ。
だから、僕も、真っ直ぐが来ました。たまたま打ち返せました、カーブが来ました、たまたま調子がいいから打ち返せました、とそんな野球をやってました。
(中略)
そこへ高畠さんがやってきて、僕にそれまでとまったく違う野球を教えてくれたんです。」
(中略)
カーブを狙ってて、ど真ん中のストレートで三振でも使用ものなら、これ以上無様な姿はありませんよね。でも高さんはよしよし、それでいいと言ってくれる。
"おまえ、カーブ狙ってたんやな?"という感じです。これはありがたかったですね。
(中略)
そんな無様な三振をしたら、ふつうの監督なら、なんてヤツだ、交代だ、となるじゃないですか。でも、高さんが責任を持って、いや、こいつは今、こういう取り組みをさせています、いまのでいいんですと、監督に言ってくれるんです。」
結果として、この選手は打率をあげている。素晴らしい手腕だと思う。
(Plan,Do,Checkを相手に意識させないうちに管理している)
少し感想文から離れるが、
昔、落合が中日時代、秘密練習で「ボールを打ち上げる(ピッチャーフライを打つ)練習」をしていた。と、報道されたことがある。
あのころはその、意味がわからず、ただ、なんとなく、「落合はバットに載せるタイプだからかな?」ぐらいに考えていたが、
その後、時代を経て、福浦が「ボールを打ち上げる練習」をしているのをプロ野球ニュース(既にすぽるとに名称変更していたか?)で、
誰か解説者が褒めていて、奇妙な感じがしていたのだが、その謎にもこの本は答えてくれる。
何のことはない、2人とも高畠コーチの指導を受けているのである。
話を感想文に戻す。
ただ、この2人のような天才肌の一流バッターへの指導は稀だったようで、オリックス赴任時代の話にイチローの話題は、ほとんど出ない。
イチローを育てたのは新井コーチだから?仕方ないのかも知れないが)
そのほとんどが、一流になる一歩手前の選手へのアドバイスで占められている。
そのくだりが、また、面白い。
現ロッテのヘッドコーチ西村(カヅオでも成し遂げられなかったスイッチヒッターでの首位打者
全てのパリーガーウォッチャーにとって伝説の10.19(仰木・近鉄がロッテと引き分けて優勝がなくなった試合)の同点ホームランを打った男・高沢
や、1年しか就任しなかったヤクルトで、飯田を見出し、池山、広沢、角富士夫に3割を打たせたり、
他にも、小久保、アリアス、田口壮、福浦、サブロー、、、、
無論、この本に書いてある通りの成功例ばかりではなかったのだろうが、アリアスの阪神退団の真相などは、いかにこの高畠という男の手腕が優れていたかが、よくわかる。
他にも「ID野球誕生前夜」ともいえる話や日本初のスコアラー誕生に親分・鶴岡一人が関係していたこと、ヒールじゃない団野村の素顔の一部など、どれもが興味深い。


オビには「読みました、泣きました。こんなにも素晴らしい野球人がいたことを一人でも多くの人に知って欲しい」と長嶋茂雄のコメントが寄せられているが、
「こいつに首位打者を取らせる」
などという言葉と実現させるその手法は、人を動かす仕事をしている全ての人に参考になるのではなかろうか。
事実、念願の高校教師へなったものの、プロアマ規定(元プロの選手はアマチュア高校野球選手へ2年間は指導ができない)のせいで、高校野球の指導はほとんどできなかったが、接した生徒には強烈なインパクトを残したようだ。
つくづく、人を育てる術に長けた人なのだな、と感心する。
と、同時にこのあたりの話は頁をめくるたびに涙が止まらなくなる。
余命6ヶ月と宣告された状態で行った最後の講義の後、泣き出す生徒に向かって
「あぁ、絶対帰ってくるとも」
と、答えるその精神力は察するに余りある。


パリーガーファンとしてではなく、野球好きとして、そしてSEとして、良い本に、出会えたものだ。