「スーパーコンピュータを20万円で創る」書評(買った理由)

本屋にて、
「スーパーコンピュータを20万円で創る」
という本を手に取る。
スーパーコンピュータにも、20万円にも興味は無かったが「創る」という単語の選び方にこだわりを感じる。
キャッチーなタイトル、と、言える(気がした)
目次をパラパラとめくる。
どうやらGRAPEの話みたいだ。あぁ、東大が作ってた国産の?だっけ?
作者を見る。あれ?見覚えがある。どこでだ?目次を見て気がつく。あ!「栄光無き天才たち」の人だ!
そう気づいた私は近年まれに見るスピードで財布に手を伸ばし、速やかにレジで支払いを済ませ、
いつものサンマルクカフェへ飛び込み、ブラックなコーヒーとチョコクロを買って、粛々と、そう、粛々と読み始めた。
そして、凄い勢いで読みきった。ガツンと。ガーっと。
(要するに、凄い勢いでテンションが上がった)
三人称の目線で、自分を書いている。
これは、「栄光なき天才たち」の作者による、作者自身の物語である。
文庫本の形態を取ってはいるが、タッチは紛れも無く、「栄光なき〜」である。
GRAPEの黎明期の語り部としての説明責任を果たすつもりで作者は本書を記述したのかもしれないが、
自分としては、久しぶりにこの人の「読ませる物語」を見れて物凄く嬉しく思う。
最後に、この本の主要な登場人物の一人、杉本教授のシビれた言葉を引用しておきたい。


本当にものごとを理解している人というのは、誰にでもわかる当たり前の言葉で説明できる人のことを言う。
偉そうに難しい言葉を並べていると一見頭が良いように思われるが、そんなヤツは大抵何もわかっておらへんもんや
そう。この言葉は本書にも当てはまる。