ソフトウェアにはまだ手で直す余地がある。



父は電気回路の設計者だった。
ふと、定年で引退した父と話す機会があり、電源系の障害時に備えて設計をするみたいな話になり、
「どうせ今はあれだろ、UPSとかを買ってきて付けるだけだろ?回路的に正しいかどうかなんて誰も見ずに買ってんだろうな、壊れたら基盤修理じゃなく製品ごと買い替えだろ」
とか話してて、少し驚いたことがある。どうやら、父は壊れたら回路単位で交換可能な仕組みの方が好みらしい。そういうハードウェア野郎だったらしい。へぇ。
今は、どの電気製品も修理するよりも買い替える方が安い、し、早い。ということになっている。父のように回路技術に熟練した人ばかりではないのだから、スキルがあるかどうか疑わしい人(そもそもスキルなんて計りようが無いという前提に立つべきか)を現場に送り出す立場で考えると、「おまえに仕組みを理解する能力なんて期待していない。黙って交換してこい」という話になるのもうなづける話だ。
父が若かった頃、回路設計の技師というのはモノを作り、仕組みを理解する、センスオブワンダーに満ちた仕事だったのだろう、やがて、産業として成熟してゆくにつれ、仕組みを理解するのは一部の人だけでいいや、という流れになって行ったのだと想像する。
不肖のせがれ(俺)がついているプログラム開発産業について考えてみる。
父の仕事に比べれば、自分で作り込んで、問題があれば(もの凄く怒られるのは仕方が無いとしても)自分の手と頭で直せる仕事だ。今のところは。だから、自分の頭を使ってなんとかやっつける(hackする)知的好奇心を満たす余地がある。
これがやがて、誰かがSE/PG殲滅言語(汎用システム向け)みたいなのを発明して、故障(バグ)が出たら修理するより交換した方が早い!なんて世界になったとしたら、状況は変わる。(別のやりがいが出てくるかもしれない)
そういう日がやってくるまでは、SI屋はまだ知的好奇心を満たせるだけの、やりがいを見いだせる世界だと思う。



勝間和代の日本を変えよう Lifehacking Japan (単行本)を読んでて、日本のソフトウェア産業についてぽつりと「日本のはカスタマイズしすぎてて世界市場では戦えない」という感じの一節があった。まぁ、ご指摘の通り、oracleやsapみたいなIT屋は日本には無いね。
ご指摘ごもっともなのでありますが、標準化と対極に居るおかげできめ細かいカスタマイズが可能で、顧客要求に対して柔軟に対応できている現状もある訳です。それに価値を見いだすお客様やSEもいたりするので「素直にうん」とは思えませんでした。言ってることが青いかな。
(他の部分は堪能させていただきました、サイバラとの対談含め)