「世界の中心で愛を叫ぶ」をみた。

松山から来客があったので一緒に見に行った。


原作は知らないし、せいぜい事前に知っている情報と言えば
本屋で見かける
「一気に読みましたby柴崎コウ
というオビの文句とか、監督の行定(ゆきさだ)が柴崎とかと仲良しらしい、とか、
大ヒットしてるらしい、とか、平井賢がエンディングを歌うとか
実は作者の人は愛媛の人らしい、とか、
だから原作では(横浜に来る前に何年かe_c_e_tが住んでいた)愛媛が舞台になっているとか、
コマーシャルではとにかく観客が泣いている、とか。
まぁこんな感じで、見に行った。
とにかく泣ける映画らしいので、ハンカチを準備して映画館に入る。
有事に備えいつでもハンカチを目元へ配備できるよう素振りも実施した。
方向性はともかく、泣く準備は完了だ。




さて、ストーリーだが、なぜか、いきなり柴崎コウが失踪して高松空港へ向かう。
そうか、柴崎が主役か、などと、ここで勘違いしてはいけない。
柴崎が演じる、主人公朔太郎のフィアンセ、律子は"存在感がありすぎる脇役”だ。
これ以上は悪口になるのでコメントを控える。


朔太郎青年の高校時代の回想シーンという形で物語は進む。
山崎努がシビれるほどにいい味を出している。
「天国なんてなぁ、人間の作ったもんだ、
 死んだらそこにいるあの人にまた会えるってな、」
とか、あのオヤジがいうと説得力が違う。さすがだ。



他は、病院が出るたびに、「あ、これ愛媛県庁だ」と、病院として見れなかったせいか
それとも、朔太郎少年のゆるやかな暴走に賛同できなかったせいか、
ヒロイン亜紀と朔太郎少年のヌルい恋愛劇やその後の悲劇へ至るくだりは非常に好きなんだけど、
なぜかストーリーが進むにつれて、ゆっくりとe_c_e_tはさめてしまいました。
ラストシーンの大沢たかお
「ここにきて初めて世界の中心がどこだかわかったような気がする」
という台詞を聞いて「どこやねん?」と怒り出す始末。
原作を読めばこの辺りのニュアンスは、理解できるのでしょうか?
そう思うと、原作が売れているの理由がわかったような気がしました。


では、素振りまでして準備したハンカチは不発だったか、というと、そうではなくて


愛媛県庁から松山市役所方面を望む景色はe_c_e_tがジョギングで走った頃が
思い出され、別の意味で涙が出ました。
他にも、海のシーンを見るたびに自分の中のビバ瀬戸内海な部分に気づき、
やはり懐かしさで涙がちょっぴりにじみました。




次は機関車先生に期待だ。
またしても地元が映画の舞台になる。
香川フィルムコミッション頑張るなぁ。