高校の先生の話。

とにかく変わった学校だった。
いや、変わっていたのは先生だったのか、それとも学校だったのか
それさえも今となっては判断がつかない。


とにかく厳しい先生だった。
毎日、英単語の口頭試問が繰り返される。
朝、単語テストがあって、その内容を帰りまでに口頭試問として、
マンツーマンで答えさせられる。
無論相手が納得できるように自信を持って答えねばならない。
自信がなさそうなそぶりを見せると
「ホントにそれでいいのか?」
などといい、心理的な揺さぶりをかける。
高校受験を失敗し、いろいろな意味で精神的に弱っていた俺たちを、
これでもかと、揺さぶり続けたイヤな先生だった。


とにかくヘンな先生だった。
あれだけ毎日夜遅くまで俺たちの英語の口頭試問に付き合っていながら
どうやら残業代が出てなかったらしい、
という話を聞いたのは3年生の終わりの頃だったか、
ただ、その頃「残業代が出てない」と言われてもピンと来ないぐらい
ガキだった自分が今となっては恥ずかしい。


あぁ、少し話が前後するが、3年間ずっと同じ担任で、ずっと
マンツーマンでとにかくひたすら英語を仕込まれた。
どこかの外語大を出た人かと思えば、この学校に来る前はゼネコンで
働いていたのだという。
では、出身大学は?と聞くと東京理大だという。しかも院卒だという。
松山にある、某電気ビルの設計をしたのは俺だと豪語していた。
1級建築士の免状をもっていたらしい、といつしか噂が流れていた。
ゼネコン汚職で逮捕劇があった時には
「俺の同期入社のやつもニュースで名前が出てたぞ」
と逮捕された同期がいることをなぜか誇らしげに語っていた記憶がある。
そもそも英語の教員免許を持っていたのかさえ今となっては怪しい。
いや、当時既にあの先生は怪しいんじゃないか、とは思っていた。
が、
でも、高校の英語の先生には不似合いな異常なまでの豊富な人生経験が
なぜだか、魅力に感じられあまり嫌いにはなれなかった。
無論、筋金入りのサディストだったので好きにもなれなかったが、
心のどこかで、尊敬していたことは間違いない。
そういう彼の特異なプロフィールを知らない生徒もいたらしいので、
それなりに気に入られていた方なのかも、とは、思っている。




今朝、その先生の訃報が地方紙に載ったと、親からメールが入る。
会社で地方紙のWeb上の「お悔やみ」の頁を見ると確かに名前がある。
間違いない。たくさんの記憶が仕事中に昨日の事のように蘇る。
伝えたい言葉はたくさんある。が、それらを胸の奥に押し込めて、
昼休みに弔電を打つ。


あなたにとっては目の前を通り過ぎたone of themだったかも知れないが、
俺はあなたに出会えて、かなり変わったよ。
長い間、お疲れ様。