いくつ書けるかな?

仕事で、ちょっとしたDBアプリを書いた。
以前書いた自分のツールの管理を行う必要があるのだが、
それまで、その程度のことSQLを自分で打てばいいじゃん。
と、思ってたが、世の中みんながSQL知ってるわけじゃないよな、と、少し優しい気持ちになって書いてみた。
ユーザーの登録、削除、一覧の取得、パスワードの変更、権限の追加/削除
とりあえず、これぐらいできれば、なんとか、運用は回せるよな。
と、書き終えてこういう記事をふと見る
ITmedia::プログラミングはもう輝かしい仕事ではない?
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0506/20/news074.html
元ネタはGartnerらしい。
で、これを読んで少し考えたこと。
「プログラミングを書けます。」というのは「車の運転ができます。」ぐらいのもので、
「車の運転ができます」という人が全員バスやタクシーの運転手になれないのと同様、
「書けるプログラムでできること」というのは個人差が出てくる。
バスやタクシーは免許がないと他者に対して責任を負ってはいけない、という制度になっているが、
「プログラミングができる人」に免許は、ない。
だからこそ、求めているシステムの難易度や規模もわからないまま、
「アレができるようにして欲しい。」
と、「プログラムのかける人」の力量と見合わない仕事を投げつけたり、
自分がナニを求めているのかわからないまま
「とりあえずできるように、アレしといて」
とか、要求にすらなってない要望を投げつけて結果を待つ人、が、出るのもやむなし、か。
などと、思ったり。
こう考えると、やはり、免許が無いならば何かしらの物差しはやはり必要で、企業の場合だと
「プログラムがかける人」は大抵、階級があって「プログラマー」や「SE」という区別が存在する。
大体の会社で「SEさん」は「プログラマーさん」よりもエラい、ということになっている。
でもこれは、うまく機能していないようだ。
だって、「プログラムがかけない人」で「SEさん」というのが腐るほどいる。
それらがイイのか、ダメかは置いといて、最初のGartnerの話に戻る。
恐らくGartnerが言おうとしているのは生計を立てるためにコードを書く「プログラムがかける人」だろう。
で、自分は生計を立てるためにコードを書いている。
Gartner曰く、これから減る予定の人材なのだろう。
ところで、「職業は?」と聞かれると、「SEさん」も「プログラマーさん」もしっくり来ないので
いつも「サラリーマン」と答えている。
半ダースぐらいの言語が触れるサラリーマン。です。
これは物差しができたとして評価対象に入るのかな?
「器用貧乏」ってのは生き延びれるのかなー。