IT業界の成熟と見える化

聞くたびに、嫌な気分になる言葉「見える化
確かにプログラムを使ってもらう仕事と、プログラム開発という仕事と
(言い換えれば、スイッチを押す人と、押させるスイッチを作る人)では、
見えている範囲が違う。必ずしも開発の方が広い、というわけではない、が。
だから、お互いが可能な限りの説明責任というのを果たさなければならない。




というのは、頭の中ではわかっているものの、
それは「見える化」というのとは違うんじゃないかい?という場面に出くわす(ことがある)
説明できる資料とデータは既に渡してあるのに、
真実を見ようとする力が自分にないから、(etherealの出力が読めないとか)
事実を直視しようという意思がないから、(勉強するのめんどくさいから、とか)
時間がないとか(これはやや正当な理由かも、能力はあるけど詳細まで目を通す時間がないから概要だけ知りたいとか)
「わかりやすく要約して」と、言っているだけなんじゃない?
と、感じる場合がある。
それが見える化の本質だと言われると、それまでなのだけれど、
つまるところ、相手の力量を見定めるところから、「見える化」は始まるのかもしれない。
で、その辺りはね、自分でハードルを乗り越えるとか、ガッコーで学んでくるとか、
そういうのを期待したい、ですよな。無理だけど。


年齢が上がると大抵、低レベルな処理(アセンブラとか、Cとか、Windows以前の世界観)を経験してて、
経験知がマネジメントに生きている部分があり、案外技術的な話題が通る場合があるのに対し、
年齢が下がるとオフショアとか、そもそもプログラムに触ったことがない世代とか、
経験不足で済ますには無理がある世代が有る(やがて彼らがプログラム作成を経験するとは思えない)
こういう世代がIT業界の職で居続ける部分に業界の成熟を感じるのだが、だからこそ「見える化」が必要なのかも
そう考えると、少し納得がいくような、いかないような。


そういうレベルを超えた先に、こういう議論があるのだと思う。