追悼・伊良部秀輝

間違いなく、パ・リーグの顔だった時期がある。
一番記憶に残っているのは、93年(清原との対決で最速記録を出した年)そして、94年、特に94年は最多勝最多奪三振、本当に素晴らしいピッチングを見せた。その後は2年連続で最優秀防御率を獲得。95年はオリックスの地元優勝がかかる場面で、伊良部、小宮山、ヒルマンで3連勝したのが強烈に記憶に残る。いずれもパ・リーグの歴史を飾る屈指の名場面だ。
イチロー登場以前の地味なパ・リーグの中では、技巧派よりも単純な「力勝負」を見せる傾向が強く、そういった時代を代表するピッチャーだったように思える。野茂や、清原と共に「パ・リーグの見せ場」を作った功労者だった(はずだ)。
阪神も、ヤンキースもすぐに関係者がコメントを出したのにロッテからなかなか出てこない。全盛期はロッテで築いたはずなのに、そこも悲しい。


阪神の頃は球速での勝負ではなく、緩急と投球術で勝負するピッチングに変わっていた。力任せで放るスタイルで年を重ね、対応できなくなる投手は多いが、彼は技術を身につけ、ベテランとして仕事が出来る稀有な存在であった。
晩年は、いや、ロッテを出てからは常に醜聞がつきまとったが、それは「天才とは醜聞を起こしうる一面を持つ」ということではないだろうか。
間違いなく凄かった。もしかしたら世界最高水準だったかも知れない、それぐらいスケールのでかいピッチャーだった。全盛期のピッチングを見て、夢中になった一人として今はただただ悲しいばかりだ。


spaが恐らく最後のインタビュー記事を公開していた。感謝。
伊良部秀輝の“遺言”

――このまま日本に戻らず、アメリカに永住する予定ですか?

伊良部  家族がこちらの生活がいいと言っているんで。ぼくとしては日本に帰りたいです。英語も話せないし。もし話せたとしても日本がいいですね。日本が好きですから、テレビ番組も面白いし、四季もあるし。

読んで涙が出た。