自分の本質

前回書いた某氏がなんとかLinuxと職場の2000とのデュアルブート環境に成功した。
初めて眺めるFedoraCore2の画面は(というか、FedoraCore1すら画面を拝んだことがなかったのだが)とてもWindowsチックで、某氏は、どうやら気に入った様子。


で、しばらく人が操作するのを見ていてふと考える。
右クリックして情報を参照したり、デスクトップ上の(アノ位置はルートウィンドウと呼ぶべき領域だが)アイコンをドラッグ&ドロップして画面下部のランチャに納めたり、とか、結局のところWindowsでもできるじゃん!な作業ばっかりで、ツマランのである。
ゴミ箱があるなんて噴飯モノだ。
rmするときは覚悟を決めろ!(嘘)


そんなニセWindowsとしての使い方をされるLinuxを見れば見るほどに、自分が好きなのは(好きだったのは)シェルなのだ、と、気づく。自分はマウス猿ではなくキーボード馬鹿なのだ。


しかし、見れば見るほどFedoraはよくできていてOOoも付いてるので、Windowsからのリプレース対象として実用に耐えうるかどうかという尺度で今後は某氏の動向を眺めるつもりである。


ついうっかりターミナルを起動したら、exitって打つんだよと教え、Ctrl+Alt+F?とか押そうものならAlt+F7で戻すそういう教育方針で指導していきたい。
シェルなしで今のLinuxってどこまで使えるんだろう?
この時点でviとEmacs宗教戦争すら発生しないのだから平和な世界だ。