書評 スプートニクの落とし子たち(今野 浩)

著者は日本の金融工学の草分け的な人。一気に読み終えた。文系とか理系とかそういった言葉は少ないが、エンジニアとして生きることの意味を考えてしまう。
日比谷高校、東大工学部のエリート集団(野口悠紀雄含む)がどうやって生きて、どうやって教授職に就き、そして、どう老いていくか。また、外資系銀行の副頭取にまで上り詰め、「一生困らないほど金を貯めた」優秀なはずの同期の尾崎氏が大学のポストを求め、私立大学の教授職を得たものの、病魔に苦しみ、離婚から晩年の再婚、などなど同世代の生きた証を書面に残している。晩年は不遇ではあったがあいつは優秀だったんだ、優秀さを知る同期の責務として文書に残したい、とでも言いたそうな文面が続く。ストーリーは暗いが、評伝としては、興味深い。
自分史ではないが、スプートニクショックで溢れ返る理系科学者のその後のアカデミックポスト獲得の記録としては、「物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進」に近い。同じ金融工学関係者なのも興味深い。あちらは、とにかく面白いが、(id:e_c_e_t:20060109)この本は暗い。だが、この本は日本の理系の人間として生きる上で知ってて損はない。 
結果として、スプートニクショックは西側での「工学」の扱う範囲を広げた、日米それぞれの金融工学の発展を助け、また、エンジニアリングの適用箇所は普遍に存在し、学問として成り立つというのを彼らの人生が証明しているように見える。そんなこと本書には書いてないけど。でも、そういう読み方もできる。賢い人はどこにいても、学究対象をみつけ、それなりの結果を残す。ただ、賢い人達の中でいると、それなりの結果だけで満足できないようだ。それは本書にかいてある。